2017年8月28日月曜日

学会レポート 学術大会「江戸の窓から朝鮮を見る―江戸時代の古典研究と思想文芸の革新」(8/18、韓国・高麗大學校)

 2017年8月18日(金曜日)、韓国高麗大学校・民族文化研究院(会議室)において「江戸の窓から朝鮮を見る―江戸時代の古典研究と思想文芸の革新」という学術大会が開催された。これは、槿域漢文学会と高麗大学校民族文化研究院<東アジア文明と韓国>企画チームが共同で主催したものである。韓国国内の国文学(漢文学)研究者、日本文学研究者30余名参加し、基調講演及び学術発表が行われた。以下、大会の概況を記す。
 本会は、槿域漢文学会会長の沈慶昊(シムキョンホ)教授が、長年、構想をあたためてきたものであり、江戸時代日本の漢文学を調査し、それとの比較を行うことを通して、朝鮮の漢文学の性質や特徴を、より客観的に分析することを趣旨とするものである。韓国の国文学系の学術大会において、江戸時代日本の漢文学についての研究を主要なテーマとする大会が開催されるのは、今回が初めてとなる。
 冒頭、沈慶昊教授による基調講演「方法としての江戸―朝鮮後期の学術と江戸の文化知性史における五つの比較―」が行われた。17世紀以降の韓国と日本の学術及び文化をより客観的に比較研究するために、重要なポイントとなる五つの論点が示され、それぞれについて沈教授の見解が述べられた。五つのポイントとは、①文字学問権力の具現様態と博学、②日本朱子学と李滉(イホァン)、③朝鮮通信使の韓日両国の学術及び文学への貢献とその限界、④日本古学と清初考証的訓詁学(毛奇齢の経学説)と丁若鏞(チョンヤギョン)、⑤出版文化の比較、である。
 その後、以下のような7本の学術報告が行われた。
  1.  「松下忠『江戸時代の詩風詩論』と江戸時代漢文学研究の現在」 合山林太郎(慶應義塾大)
  2.  「藤原惺窩『文章達徳綱領』における朝鮮と中国」 朴京男(高麗大)
  3.  「石田梅岩『都鄙問答』と経済思想」高永爛(高麗大)
  4.  「18世紀日本の古文辞派による中国詩選集の刊行と江戸漢詩の変遷」 盧京姫(蔚山大)
  5.  「蘐園学派による古文批評の争点と特徴:荻生徂徠『四家雋』及び『古文矩』、太宰春臺『文論』を中心に」 河志英(梨花女子大)
  6.  「文明と武威の間:伊藤東涯の朝鮮観と文明意識」 李暁源(ソウル大)
  7.  「19世紀前期に漢文で執筆された日本における壬辰倭乱に関する文献について:『日本外史』と『征韓偉略』の比較を中心に」 金時徳(ソウル大・奎章閣)  
この後、それぞれの発表に基づいて議論が行われた。一例を挙げるならば、朴京男(パクキョンナム)教授は、報告において、韓国・日本両方の研究に幅広く目を配りつつ、藤原惺窩の朱子学は姜沆(カンハン)により大きく影響されたという既存の見方(阿部吉雄ら)に対して異議を唱え、また、惺窩の『文章達徳綱領』を思想的な角度から分析する内容であったが、この発表から、阿部吉雄の研究の傾向はどのようなものか、あるいは、朱子学者とは何か、など、様々な問題提起がなされ、多くの有益な意見が提出された。
 総合討論では、日本の漢文学を考えるためには仮名文学を視野に入れなければならないこと、また、東アジアの漢字文化圏は均質なものではないことなども議論された。
 閉会の際には、沈慶昊教授が今大会の意義を改めて強調され、このような日本漢文学への関心と追及を保持しつつ、韓国の漢文学をより広く客観的に見ていくことを提案し、また、あわせて日本の漢文学研究者たちの協力にも期待を表明した。
 先にも述べたとおり、本研究集会は、韓国漢文学者たちが主体となって日本漢文学をみようとする、初めての学術大会であった。これをきっかけに、韓日両国の学術の交流がより活発化し、東アジア全体を視野に入れた漢文学研究が、さらに大きく発展することが予測される。
 
(文責;康盛国)
 
 

 

2017年8月21日月曜日

夏目漱石漢詩研究討論会を開催します(8/29 中国・西北大学)

纪念夏目漱石诞辰150周年学术沙龙:夏目漱石汉诗研习鉴赏会
夏目漱石生誕150周年紀念学術サロン:夏目漱石漢詩研究討論会

歴史的典籍NW事業

2017年8月29日(火)13:45~15:45
中国・西北大学外国語学院・第二課堂(長安校区6号棟1階)

プログラム

趣旨説明(夏目漱石の漢詩の特徴と背景)
合山林太郎 慶應義塾大学 准教授

詩吟
金 中 西安交通大学 教授
終南詩社社中

鑑賞・討論
参加者全員

コメンテーター
楊昆鵬 武蔵野大学 准教授

モデレーター・同時通訳
黄 昱 国文学研究資料館 機関研究員
呂天雯  早稲田大学大学院 博士課程生
陳潮涯 大阪大学大学院 博士課程生

司会
高兵兵 西北大学 教授

趣旨
 夏目漱石は、近代日本を代表する小説家というだけではなく、漢詩を多く制作した人物であり、中国においても、近代日本を代表する漢詩人として、内藤湖南とともにその名が知られている。しかし、漱石の漢詩はきわめて特殊な環境のもとで作られ、その解釈は難しい。日本では、吉川幸次郎の『漱石詩注』以来、高い評価が与えているが、詩としてどのように位置付け得るものなのか、漢文学に関心を持つ人々が自由に議論し、検討すべき問題であると思われる。
 本集会では、同時通訳を介しながら、中国と日本の研究者や詩人、詩作愛好者たちが、漱石の漢詩について、ともに考えてゆく。なお、漱石の漢詩は200首程度あるが、熊本時代の作品、修善寺の大患後の作品、『明暗』執筆時の作品などを数篇ずつ取り上げる。

主催:和漢比較文学会 日本漢文学プロジェクト
承催:西北大学日本文化研究センター 終南詩社
共催:国文学研究資料館 西北大学外国語学院 陝西省外国文学学会

和漢比較文学第10回海外特別例会のページ


2017年8月6日日曜日

国際ワークショップ「東アジアの思想と文学+α : 古文辞派を考える」終了いたしました

 20名の参加者があり、活発で具体的な議論が行われました。
 はじめに、盧京姫氏の講演があり、まず、日本では通常「古文辞派」や「格調派」などと言いあらわされている前・後七子の影響を受けた人々(日本では徂徠一派と同義で使用されることが多い)の呼称について、韓国では、必ずしもグループをなしたいたわけではなく、時期や身分なども違っていたことが説明され、これらの人々の総称については、「擬古文派」あるいは「秦漢古文派」など、文脈や背景によって複数の用語を使用していく旨が説明されました。
 次に、朝鮮王朝の「擬古文派」または「秦漢古文派」と言い得る代表的な人物として、許筠(ホ・ギュン、1569~1618)、申維翰(シン・ユハン、1681~1752)、李彦瑱(イ・ウォンジン、1740~1766)の3名について説明がなされ、これらの人物の身分(両班、中人の別)などが大きく違っていることなどが解説されました。なお、許筠は燕行使に、申維翰及び李彦瑱は使行(朝鮮通信使)に参加した人物であり、とくに近年の韓国の研究界では、李彦瑱への関心が高まっているとのことです。 
 このほか、盧京姫氏は、韓国(朝鮮王朝)と近世日本では、明の前・後七子受容の時期の違いが持つ意味(朝鮮は17世紀からに開始され、日本は18世紀の徂徠学派が中心である)、さらには、朝鮮と日本との間の、前・後七子の受容の実質的内容の差異(①「文必秦漢、詩必盛唐」という、同じ前後七子の文学的主張を受け入れながらも、朝鮮の場合、作家の個性と内面の表現をさらに強調するのに対し、日本の場合、作品の格調と形式、文辞の再現を重視している、②前・後七子のうち、日本では李攀龍へも相当の関心が払われるのに対し、朝鮮では、主として、王世貞について興味が持たれている)などについても考察を及ぼされ、今後、研究において、朝鮮通信使における両国の古文辞派の接触を検討する際に、注意を払うべきであることを指摘されました。
 この講演を受けて、ディスカッサントの澤井啓一氏、高山大毅氏、藍弘岳氏より質問やコメントがありました。とくに議論が集中したのは、近年の韓国における研究で関心が持たれている徂徠の「贈朝鮮使序」(『徂徠集稿』、慶應大学図書館蔵、平石直昭氏『荻生徂徠年譜考』平凡社、1984年、118頁に一部引用があり、言及されています)という文章です。これは、版本の『徂徠集』には掲載されていない文章(編集段階で削除された)であり、享保4年(1719)の朝鮮通信使へあてた内容を持ちます。この文章をどのように評価するのか、すなわち、①これは実際に徂徠が朝鮮通信使に会ったことを意味するものなのか、そうではなく事前に準備して書かれたものと考えた方がよいのか、②徂徠の本心が表されたものか、あるいは外交儀礼的な内容を持つものなのか(前掲平石氏『年譜考』においては、「多分に外交辞令の気味がある」と評価されています)などの点について、意見の応酬がありました。
 全体として、韓国と日本の思想と文学の研究の流れに大きな知見をもたらす、有意義な集会であったと思います。論文などが国際的に流通するだけではなく、実際に研究者同士が会うことによって、考察に大きな展開がなされるということを実感いたしました。今後も、朝鮮、日本それぞれの漢文資料をともに読解するなどの行為を通じて、研究の進展を図っていきたいと考えています。

研究集会プログラム・ポスター


 
 
 

2017年8月5日土曜日

合同研究会「漢文学研究がつなぐ“世界”―古代/近代―」終了いたしました

 2日間で約30名の参加者があり、4本の報告にもとづき、荒木浩氏の司会のもと、熱のこもった議論が行われた。
 合山林太郎氏は、これまでの日本漢文学プロジェクトの成果について報告するとともに、大衆化、日本化、和漢などの日本漢文学を通史的な視点から見通すためのいくつかの視点について考察した。
 劉雨珍氏は、明治初年に、宮島誠一郎らと黄遵憲らとの間で交わされた漢文の筆談について、場の状況、人物たちの性格、筆談の内容を踏まえながら詳細に分析するとともに、日中文人の間で交わされた唱和詩が、刊行物収録時などに改稿された事象などを取り上げ、筆談資料の取扱いの難しさについて述べた。
 エドアルド・ジェルリーニ氏は、近読(狭い範囲のテキストを詳細に読むこと)とともに遠読(翻訳や注釈などを参照しつつ広い範囲のテキストを読むこと)を行う重要性について指摘しつつ、道真の詩を中世ヨーロッパの詩人と比較し、詩文の儀礼性などの点で同質性が見出される一方、詩の位置付けなどの点では差異が見られると主張した。
 葛継勇氏は、9世紀の唐への留学僧円載について、綿密な史実との考証や送別詩の詳細な分析を行い、先行の研究とは異なる円載像を見出し得ると論じた。たとえば、真摯に天台を学ぼうとする僧侶の姿が看取されると述べた。
 ディスカッサントの滝川幸司氏をはじめ、多くの参加者から質問がなされ、中国語・日本語文芸の両方の性格を持つ日本漢文学の分析手法、漢詩をめぐる中日での評価基準や考え方の違い、詩入都々逸や詩吟・剣舞などの漢詩関係の大衆文化のありよう、日本漢詩文の英語圏における発信の方法、漢詩の表現の持つ類型性とそれを踏まえた読解の重要性、「文学」的な評価軸から離れ、学際的な視点を導入して漢詩文を論じてゆくことの必要性などが議論された。
 それぞれの報告、そして質問の内容や観点は多様であったが、日本漢詩文の歴史や日中漢文学交流史の中に、時代を超えて存在する問題や有効な考察の型があることも感じることができた。あり得べき漢文学研究とは何かということを考える上で、きわめて有意義な2日間であった。

研究集会プログラム・ポスター
国際日本文化研究センター大衆文化プロジェクトのレポート(呉座勇一氏ご執筆)