2017年9月25日月曜日

無窮会において報告を行いました(9/24)

 公益財団法人無窮会九月例会において、本研究の成果の一部(近世・近代日本漢詩における名詩形成の過程)を報告させていただきました(合山林太郎「教養としての日本漢詩―戦前までの伝統をふり返る―」)。明治期の漢詩詞華集と兪樾、あるいは中国の詩話との関係をどう捉えるか、また、現在の教科書に収録されている日本漢詩の選定には、教えやすさ(現代文や古典の作品と関連があると教えやすい。具体的に言えば、教科書に採られている鷗外や子規の漢詩文は、『舞姫』や『こころ』を教える際に関連づけしやすい。教科書に収録された日本漢詩はこちら)などの要素が関係しているのではないか、といったご意見をいただきました。多くの貴重なご教示を賜りました。心より御礼申し上げます。

2017年9月5日火曜日

「夏目漱石漢詩研修会」(中国・西北大学)を終了いたしました

 約35名の参加者があり、楊昆鵬氏の司会、黄昱氏、呂天雯氏、陳潮涯氏の3名の同時通訳により、中国語、日本語の両方で報告及び討論がなされた。冒頭、合山林太郎氏により、本検討用の資料についての説明があり、漱石の詩について、などの時期に分けられること、また、それぞれの時期を代表する詩として、以下の11首を選んだことが述べられた。

A 〔春興〕 1898(明治31)年3月(全集番号65)、32歳、熊本時代の作、五言古詩
B 菜花黃 1898(明治31)年3月(全集番号68)、32歳、熊本時代の作、五言古詩
C 〔無題〕1910(明治43)年9月20日作(全集番号78)、44歳、修善寺喀血後の作、五言絶句
D 〔無題〕1910年(明治43)9月22日作(全集番号79)、44歳、修善寺喀血後の作、五言絶句
E 〔無題〕1910年(明治43)10月1日作(全集番号82)、44歳、修善寺喀血後の作、五言絶句
F 〔無題〕1910年(明治43)10月3日(全集番号84)、44歳、修善寺喀血後の作、五言絶句
G 〔無題〕1910年(明治43)10月11日(全集番号90)、44歳、修善寺の大患後、長与病院に再入院したときの作、七言律詩
H 〔題自画〕 1914年(大正3)11月、(全集番号125)、48歳、中間期、七言絶句
I 〔題自畫〕1916年(大正5)春、(全集番号133)、50歳、中間期、七言絶句
J 〔無題〕1916年(大正5)9月4日(全集番号155)、50歳の作、明暗時代、七言律詩
K 〔無題〕1916年(大正5)11月20日(全集番号208)、50歳の作、明暗時代、七言律詩
 
 
次に、金中教授(西安交通大学)、陶成涛教授(西北大学、終南吟社)による中国語による朗誦及び品評が行われた。朗誦する詩として、金教授、陶教授ともに、 検討用資料掲載の詩の中から、 C,E,F,H,Kの詩を選ばれた。金中教授は漱石の絶句を、陶教授は律詩を高く評価した。
 この後、フロアも交えて討論を行った。漱石が晩年(『明暗』時代)、七言律詩(七律)を集中的に制作しているが、こうした作品群において、七律という形式が本当に効果的に用いられているか、その表現に冗長さがないか、という質問がなされた。これに対し、金教授及び陶教授より、七律の形式が完成するまでの中国古典詩史の流れ(七律は成熟した形式)や、七律の持つリズム感(流麗さ、五言詩を日本語の五・七調とするならば、七言詩は日本語の七・五調に近い)について考慮に入れるべきである、あるいは、絶句より構成的である律詩は、人生の思考や解脱を求める内面を表現するのに向いており、こうした点も漱石の関心を引いたのであろうとの応答がなされた。議論はこの後、日本人の漢詩の情緒表現、さらには漢詩における情緒表現とは何かといった面にまで発展した。
 また、検討対象となっている漱石の詩は、すべて作り手の心情を述べることに主眼を置いたものであるが、これは、漱石の特徴なのか、それとも明治漢詩文の特徴と考えるべきなのか、という質問があった。これに対し、合山氏より、基本的には漱石一人の特徴と考えるべきであり、明治期の専門漢詩人の作には、国家や社会について詠った詩が多く存在すると回答がなされた。
 このほか、今回、検討された詩には故事が含まれないものが多いが、そのことに何か意図があるのかといった指摘や(漱石の初期、晩年の詩には、『蒙求』の故事などが詠われるものもあるが、それらは今回検討対象には入っていない)、中国の無題詩の伝統の中で、漱石の詩を検討することの可能か(漱石の詩は題が付けられていないものが多く、それらは今日「無題」と呼ばれている)などの質問があった。
   
本研修会は、一昨年より開催してきた和習研究会(大阪東京)の集大成として企画されたものである。和習研究会では、日本人の漢詩が、文化や言語の環境を異にする中国において、どのように評価されるか、すなわち、日本という文化的な土壌を離れて、日本漢詩がいかに評価され得るかという問題をについて、近世・近代の日本漢詩の”和習”を手がかりとしながら考えてきた。
 今回の集会においては、中国語で詩を読む際の音韻の要素について理解を深めた。と同時に、詩の本質的な部分に関しては、中国と日本との間で同じであるとの感触も得た。金中教授の「極限すれば、詩作に素人と玄人の区別はなく、そこに表された感情の“濃度”によって決まるのだ」という言葉が、その本質をよく表しているように思われる。

 なお、本集会は、和漢比較文学海外特別例会中のセッションとして、西北大学外国語学院の協力を得て行われました。ご高配を賜りました相田満教授、高兵兵教授、関係の先生方、スタッフの皆様に感謝申し上げます。
 




  
→集会プログラム・ポスター